「才能」の壁を科学で越える
鍵盤演奏の「暗黙知」を解明する研究者の使命
学部 応用音楽学科
大澤 智恵 准教授
専門分野:音楽心理学、演奏科学、音楽教育学
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演奏技術の習得における長年の謎に挑む
ともすれば「才能」や「センス」などの言葉で片付けられがちな楽器演奏の熟達。自身もピアノ演奏を真剣に学んだ時期がある大澤准教授は、その技能の習得に苦労した経験から、鍵盤楽器の打鍵位置制御メカニズムの研究へと進んだ経歴を持つ。
例えば譜面を読んで正しい鍵盤にさっと手・指が行く。そのメカニズムについてはわかっていないことが多く、演奏学習者の指針になるような確かな知見はごくわずかだ。メカニズムに基づいて論理的・客観的な理論が構築できれば、楽器を演奏する人・教える人の双方に大きく貢献できる。「できる」人が「暗黙のうちに知っているやり方」を誰もが理解可能な形で記述し、演奏する側・教える側の課題を乗り越える知識や方法論を提供するのが、大澤准教授の使命である。
演奏者が弾こうとするキーの位置を知る手がかりは何か
鍵盤楽器演奏は、意図した音に対応するキーを適切なタイミングで打鍵する連続動作により成り立っている。演奏者がどのように演奏すべき音を打鍵しているのか実証するため、大澤准教授はピアノ演奏中の感覚情報(視覚・聴覚)の役割を探る実験を開始した。具体的には、ピアノ演奏者が目隠しをする、演奏している電子ピアノを無音にする、といった方法で視聴覚に制限を与えたうえで、さまざまな旋律を実験参加者に演奏してもらい、演奏にどのぐらい支障があるかを測定した。その結果、演奏者は、少しでも音が跳躍する場合、時々刻々と獲得される視覚情報を手がかりにキー位置を把握し、打鍵制御を行っていること、そして聴覚はその誤りからの修正に役立っていることが新たな発見として明らかになった。次にピアノよりサイズが小さく演奏者が鍵盤を持って演奏するショルダー型鍵盤楽器やマリンバなどを用い、指先にネイルチップを当てることや、特殊なマレットを使用することで体性感覚(触覚や、筋肉や関節の感覚、手応えなど)に制限を加えた実験を学生とともに発展させた。サイズや構え方の異なる鍵盤楽器において、共通するのは視覚の役割の重大さ、そして触覚・体制感覚や聴覚のサポートもそれぞれ無視できないという点である。


成長のブレイクスルーを科学し、知識を社会に還元する
自身の経験から、大澤准教授は「楽器演奏の熟達の決め手を“才能”や“センス”、あるいは“努力”や“練習量”という言葉で片付けるのではなく、客観的なデータに基づき、演奏者の中で「何」が上達のブレイクスルーになるのか、そのメカニズムを解明することが必要だ」と力説する。この研究の知見は、よりよい練習方法の考案をバックアップするものであり、技能獲得に悩む多くの学習者や、多様な生徒への指導に悩む指導者が渇望するものともいえる。そのため、音楽業界・団体などの媒体をはじめ、講演会、出版、SNSを通した、指導者・学生・学習者へのわかりやすい情報発信も欠かせない。
また、複雑な演奏データを解析し、制御メカニズムのモデルを構築するためには、音楽情報処理や数理モデル、また、より複雑な統計検定などに強い研究機関・研究者との協働が不可欠である。本研究室の実験データと知見に対し、新たな解析手法や技術を適用できる研究者を積極的に求めている。
「今後は既存の鍵盤楽器以外の楽器の演奏制御、異なる楽器間での技能の転移メカニズムにも研究領域を拡大していきたいと考えています」
PROFILE
信州大学教育学部中学校教員養成課程音楽専攻卒業。同教育学研究科教科教育専攻音楽教育専修終了。長野県にて教員として2年間勤務した後、新潟大学大学院現代社会文化研究科博士後期課程入学、単位取得満期退学。東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科にて博士号(教育学)取得。大阪大学医学系研究科運動制御学講座RA、ヤマハ音楽振興会音楽研究所研究員、京都市立芸術大学にて日本学術振興会特別研究員PDおよび客員研究員、京都大学こころの未来研究センター研究員などを経て現職。