研究紹介

心と社会を癒やす
「トラウマインフォームド」な視点

心理・社会福祉学部 社会福祉学科
大岡由佳 教授
専門分野:精神保健福祉

トラウマに配慮できる社会をめざして

 精神保健福祉を専門とし、「トラウマインフォームドな社会づくり」を研究テーマとする大岡由佳教授。現在は、人が傷ついたときに適切に支援される社会をどう実現するかに焦点を当てて取り組んでいる。「人は誰しも、人生の中で傷を負うことがある。そのとき社会が優しく、寛容であれば、人は再び歩き出せる」と語る。

 大岡教授は、被害者支援の実践に長年携わりながら、トラウマに焦点をあてた研究を推進してきた。近年は、「“川の上流(原因の段階)での予防”的な観点で、被害者が救われる社会を目指したい」と考え、人々のトラウマの認識を高める取り組みを進めている。中でも際立っているのは、絵を通じた市民へのアプローチである。過去に開催した「トラウマ展」では、“人生”について描いた絵に現れた、虐待やネグレクト、愛する人の突然の死といったトラウマ体験の絵画を一般来場者が鑑賞し、その前後でトラウマへの共感度を調査。結果として、トラウマを「自分ごと」として感じる感性が向上する傾向が見られた。このように、トラウマを可視化する手法を用いながら、社会全体の理解促進と共感力の醸成に取り組んでいる。

 さらに大岡教授は、トラウマに関する教育と社会普及にも力を注いでおり、一般社団法人を立ち上げ、市民向けにトラウマの理解を促す教材を制作・専門職への研修をオンデマンド配信している。その効果検証も行い、研究と実践をバランスよく融合させている点が特徴である。

トラウマ展で展示されたトラウマ体験をもとに描かれた絵画

トラウマは「心」だけでなく「脳」と「身体」にも影響する

 トラウマと聞くと、一般的には「心の問題」と捉えられがちである。しかし近年の脳科学研究は、その影響が脳の構造や機能、さらには身体の健康にまで及ぶことを明らかにしている。たとえば、幼少期の虐待体験が脳を萎縮させる可能性や、トラウマがうつ病やアルコール依存症、さらには認知症や慢性疾患のリスク因子になり得ることが分かってきた。

 このような知見を踏まえ、トラウマへの理解やケアは、医療・福祉の専門職に限らず、社会の誰もが関心を持つべきテーマであると大岡教授は強調する。「駅に設置されたエレベーターが、本来の対象以外の人にも恩恵をもたらしたように、トラウマに配慮した社会は、結果としてすべての人にとって生きやすい社会になる」。それが「社会モデル」と呼ばれる発想であり、精神保健福祉の基本理念とも重なる部分である。


研究と実践の両輪で「優しい社会」を形にする

 大岡教授は今、「トラウマインフォームド・デザイン」にも関心を寄せている。これは、照明や空間構成などに心理的配慮を取り入れた環境設計の概念であり、すでに海外では学校、病院、施設といった建築や、WEBデザインへの応用が進んでいる。建築家やNPO、医療関係者と協働し、安心感を与える場づくりとその効果測定に着手しているという。

 また、シングルマザー世帯などに焦点を当て、世代間で連鎖しやすいトラウマの課題にも取り組んでいる。研究において特に大切にしているのは「当事者の声を置き去りにしないこと」。研究成果の還元や事前の丁寧な説明を徹底する姿勢からは、倫理性と実践性の両立を重視する研究者としての信念が伺える。

 「社会が変われば、被害も加害も減らせるはずです」。教授が目指すのは、誰もが傷を抱えながらも、支え合いながら生きていける社会。そのビジョンは、静かだが力強い確信に裏打ちされている。

一般に向け独自の教材を制作しトラウマへの理解を促す

PROFILE

関西大学社会学部卒業後、民間精神科病院勤務を経て2003年より久留米大学医学部精神神経科学教室において精神保健福祉士として勤務。
同時期に、同大学博士課程在籍。2008年に博士(保健福祉学)取得後、帝塚山大学心理福祉学部の助手、講師を務める。
2010年より武庫川女子大学に着任し、現在に至る。